マーケティング

管理人プロフィール

はじめまして!
イズミです!

本日はWebサイトにお越しいただき、どうもありがとうございます。

私は、知識も、スキルも、実績も、なにもないどこにでもいる、
小さなメーカー企業で事務職をしている、ごく普通の会社員です。

いや、「ごく普通」というのも良く言い過ぎかもしれません

というのもここ数年、常に原因不明の体調不良に悩まされていて、
1日8時間フルタイムで働くことができなくなってきているからです。
そういう意味では、普通よりも下の状態かもしれません。

そんな私が、様々な理由から
Webマーケティングを活用したビジネスを始めることを決意しました。

目標は、
Webマーケティングを用いて、1日2~3時間の稼働で生計を立てることです。

「こうなったらいいな~」と夢物語を語っているわけではありません。
普通の、いや身体の弱い会社員の私でも十分できると判断した、実現可能な目標です。

先程も申しましたが、私は知識もスキルも実績もなにもない、
ただの、強いて言えば身体の弱い、会社員です。

なんで、そんな会社員がWebマーケティングを選んだのか?
そもそも体調不良ってなんなのか?

これまでの経緯と学びのきっかけについて、
私の自己紹介を含めてお話していきたいと思います。

基本情報

名前:イズミ
性別:男
生年月日:1991年4月生まれ
出身:神奈川県横浜市
趣味:特になし(趣味がないことが悩み)
好きな食べ物:甘いもの全般
好きな漫画:名探偵コナン

幼少期~学生時代:ただただ普通で真面目なこども

幼少期~学生時代:ただただ普通で真面目なこども

私は、神奈川県横浜市のごく一般的な家庭に生まれました。

寡黙だけど優しい父親と、明るく楽しい母親。そして6つ離れた姉。
一般的な世帯年収で、母親はパート勤めという
それはそれはごく一般的な家庭で、幸せに過ごしていました。
学校の成績は、中の上~上の下くらい。

大学に入ってからもよくいる大学生で、勉強にはほぼ手を付けず
とにかく遊んでいるようなお気楽幸せな大学生活でした。

漠然と「何者かになりたい」とは考えていたので、
まだ一般的ではなかったWeb系広告の代理店に就職を決めました。

激務であるという噂は聞いていましたが、若いうちに激務にもまれて、
Web広告の専門家になって、その道でバリバリの第一人者になってやる!

と、明るい将来を夢見ていました。

新社会人:まさかの配属と発病

新社会人:まさかの配属と発病

4月に入社し、約1か月ほどの研修を終えると配属発表があったのですが、
そこで出た辞令がまさかの「経理部配属」

Web広告の会社に入ったのに、
Web広告に全く関わらない部署に配属になってしまいました。

いきなり思惑が外れてかなり戸惑いましたが、その時の上司にとてもよくしてもらい、
まずは置かれた場所で頑張ろう!と決意しました。

しかし、頑張る決意をしたその数日後。
突然、足が震えはじめ、そのうち手も震えだしたのです。

何かおかしいと思い病院に行くとそこで告げられたのは「バセドウ病」という病気

甲状腺に異常が生じてホルモンが過剰分泌される病気で、常に100m走した直後のような心臓の動き方をしてしまうという病気でした。

とにかく疲れる病気(心臓は常に100m走しているので)で、仕事にも支障をきたしてしまい、入社1年目でいきなり休職。

今となっては大したことない期間だったのですが、新社会人1年目の私にとっては、
「入社していきなり会社を休むなんて」と、
人生が終わったような絶望に襲われたことを覚えています。

そして、この時の発病が、現在に至るまで私を苦しめることになります。

23歳〜27歳:とにかく苦しんだ5年間

23歳〜27歳:とにかく苦しんだ5年間

もともと激務であることは承知の上で入社した会社でしたが、
バセドウ病の影響かとにかく体調の悪い日が多くなりました。

倦怠感が強く朝起きるのにも一苦労、

頭には靄がかかったようで思考がはっきりせず、

曲がり角を曲がっただけでめまいがする。

というように寝ているとき以外は基本的に苦痛、というような状態でした。

とはいえ、外傷があるわけでもなく、他人から見たら体調不良であることは伝わらないし、周りも激務なので私に構っている余裕はない。

しかも、確実に体調は悪いのに、病院に行っても数値的にはどこも悪くない。
仕方ないから体調が悪いまま激務をこなす。

という日々を結局4〜5年続けました。

当然そんな調子なので、パフォーマンスは上がらず、評価も上がりません。

自分で自分が納得できず「こんなはずじゃなかった」と、
毎日泣きながら終電間際の電車に乗って帰っていました。

そんな生活を続けていたある日、朝起きると身体が動かなくなっていました。

すぐに入院することになり、ありとあらゆる検査を受けました。
しかしそこでも原因は分からず、ストレスだろうという結論になりました。

27歳の秋。夢を持って入社した会社を退職しました。

28歳:会社員として生きていけない

28歳:会社員として生きていけない

退院してからもしばらくは働かず、少し休むことにしました。
実際、1日8時間働く体力がなかったからです。

入院した時から、本当にいろいろなことを考えました。

きっとこの自分の体調とは、長い付き合いになるだろう。
その場合、働き続けることは可能なのだろうか。
続けられたとして、会社や家族に迷惑をかけずに生きていくことは出来るのだろうか。

結婚は出来るのだろうか。
そもそもこんな体調の人間が、恋愛なんてしても良いのだろうか。
恋愛や結婚出来たとして、また働けなくなったら彼女や奥さんまで不幸にしてしまうのではないか。

いや、そもそも今後自分はどうやって生きていけばいいんだ?
その前に、やっぱり身体は直したほうがいいんじゃないか?

いやでも、きっと身体は治ることはないから…

答えの出ない問いを入院中からずっとグルグルと続けていました。
絶望感と焦燥感で、頭がおかしくなりそうでした。

ただ、9-5時的な会社員としての働き方はもう出来ないし、
出来たとしてもしたくないとだけは、はっきりと思っていました。

そんな暗いことばかり考えていた時、
友人が「自分と一緒に事業をやらないか」と誘ってくれました。

こんなどうしようもない自分に声をかけてくれるなんて、この人には絶対に恩を返そう。
そう思って、まずはできるところから少しづつ、社会復帰を始めました。

29歳:コロナ禍

29歳:コロナ禍

友人と事業をはじめたものの、無収入の期間も1年を超えはじめていました。

そろそろどうやって生きていくかを決めないといけないと思い始めていたころ、
新型コロナウイルスが世界中で蔓延し始めました。

2020年の4月以降、
緊急事態宣言が発令されて日本中の経済活動がストップし大混乱になっていましたが、
私は幸いまだ事業スタート前で、外に出る必要性も、用事もなかったので特段困ることもなく

「みんな大変だなあ」

という感じで世間を眺めていました。

むしろ、
「自分だけじゃない、みんなもちゃんと仕事をできていない」
「みんなも毎日家にいるんだ」
と思えたことに、不謹慎ですが、心底ほっとしたことを覚えています

私の体調は相変わらず、3時間も働けばヘロヘロになってしまうというありさまでしたが、
友人との事業はコロナ禍にもかかわらず順調に成長し、
法人化して銀行から融資を受けるという話にまでなっていました。

私は銀行から融資を受ける仕事を引き受け、
無事に法人化と銀行からの融資を受けることができました。

この時私は「自分も起業家に成れた」と、喜んでいました。
会社員ではない働き方をすることで「短い労働時間で収入を得られる」
思っていたのです。

しかし、それが勘違いであったことは、すぐに判明しました。

30~33歳:起業して借金。そしてふたたび会社員へ

30~33歳:起業して借金。そしてふたたび会社員へ

当初こそ順調だった会社の資金繰りがうまくいかなくなり、
個人の資金を投入しながら、なんとか事業を継続させるという状態になってしまいました。

給料はもらえていないのに、個人の貯金からお金は出ていく、、、
しまいにはそれだけは足りなくなり、カードローンなどを使って何とかやりくりする状態に。
結局この会社への補填と融資の返済額だけで、あっという間に350万円の借金を作ってしまいました。

「会社員ではない方法」で生きていくために起業という道を選び、
その結果、借金だけが残るという結果になってしまいました。

借金を返すために、働かねばなりません。
会社員には絶対に戻りたくないと思っていたのに、なんとかかんとか友人のツテでとある会社に就職して、今もなんとかかんとか働いて、日々を過ごしています。

33歳~:必要なのは「自分で生きていく力」だ

33歳~:必要なのは「自分で生きていく力」だ

自分の「起業」がうまくいかなかった理由を考えてみました。

それは私が「“売上を上げること”を友人に頼り切っていた」ことだと思っています。

経理時代の経験から売上の管理や、守ることは比較的得意でしたが
「どうやったら売上を上げられるのか?」ということを全く分かっていませんでした。

肝心な「売上を上げること、その方法」を友人に任せきっていたため、
上手くいっていないときにテコ入れができなかったり、
何か違うと思っても、強く言い返すことができなかったりと、対等な関係を築けていなかったと、反省をしています。

「やはり、生きていくには自分で稼げる力が必要」

「時間に縛られることなく、自宅から動けなくても問題ない方法で」

「1日2~3時間程度の稼働でも、生きていける稼ぎを得られる方法を探す必要がある

そう思った私は、Webマーケティングのスキルを身に着けることを選択しました。

マーケティングを学ぶことで集客から売上を上げるところまでの、
ビジネスのトータルプロセスを理解できます。

また、Webのマーケティングであればパソコン1つで、
極論スマホ1つあればいつでもどこでも働くことができます

そうすれば体調の不安定な私でも、
「家で」「2時間だけ」というような働き方を選択することができます。

これから

今の私は、なんとか会社員をして、生計を立てています。

ですがこれまでにも述べたように、朝の始業から、夜の終業までフルで稼働できる日はほとんどありません。
昼休みや在宅ワークをフル活用して、なんとかごまかしながらの生活を続けています。

会社員としてフルタイム働くことができない人間だって、いやそんな人間だからこそ、
1日2~3時間の稼働で、日々の生計を立てられるようになってみせる。

もし、こんな生活が可能になったら、同じような境遇の人でも希望を持って生きていけると思うのです。

いずれは、同じように事情があって長く働けない人たちに勇気希望実力をつける機会を届けたいと思っています。

私はまだまだ未熟者で、何かを成し遂げたわけではありません。
ですが必ず、まずは1日2~3時間の稼働で、日々の生計を立てられるようになります。

このブログは、
私が目標を達成させるために日々取り組んだことを記録していくものです。
私の経験が何かの役に立つことがあれば、そんなにうれしいことはありません。